14日、今年の日本人会の旅行は6月にマダインサレという800km北の遺跡にいくと案内がある。
15日、明日からデュバイへいくので、カン太をまた病院に預ける。
16日、デュバイへ出発。ぜいたくをしようと、わずか2時間の飛行機なのにファーストクラスに乗ったのだが、ひどいファーストクラス。夜中に着くと、ここはインド人が多い。入国カードをもらう窓口で順番に並ばずにみな我先にと手を伸ばしている。ホテルはシェラトンで、出迎えのバスがあるはずだが見当たらない。タクシーはカードが使えず、50リアルを両替してタクシーに乗り、2時頃やっとホテルに着く。一番いい部屋を予約しておいたはずだが普通の部屋だ。部屋を替えさせるが11階の部屋は3つ目のベッドが入らない。8階の2ベッドの部屋に転がり込む。妻は最初の部屋と同じじゃないかとうるさい。もう3時半だ。とにかく寝る。
17日、もう8時半だと妻に起こされ、行動開始。町へ出て、大きなビルをながめながら2km程のところにあるショッピングセンターに行く。うわさどおり日本食を売っている。豚肉も売っているが、「ムスリム(イスラム教徒)以外」とちゃんと売り分けている。ホテルに戻り、砂漠ツァーを予約。3時頃ランクルが来て出発。運転手はデュバイの人で、お兄さんとおっさんの中間くらい。アメリカ人の男女4人組が同乗。ラクダレース場を見学してから砂漠に入る。砂漠といっても、結構灌木が生えている。素人目にはとても登れそうもない砂の坂を何度も上り下りし、きゃーきゃーと歓声と悲鳴がごちゃまぜだ。途中でラクダがいるところがあり、一旦停まってラクダに餌をあげる。みなへっぴり腰で恐る恐るあげている。砂漠の中だからラクダは野生に見えるが、今はもうすべて飼われているのだそうだ。ラクダを終わって夜になる。運転手は道に迷ったふりをしてここでもない、ここでもないと運転をし、助かったというふうに車を停めると、50mほど下に夕食を食べる場所が用意されていた。砂の上に敷いたシートに座り夕食を食べる。ベリーダンスが始まる。エネルギッシュだが哀愁も半分あるという感じの音楽と踊りだ。夕食を終わって、踊りも退屈で、つぼはそり遊びを始める。ラクダがいて乗ることができるのだが、ラクダの表情がカン太と同じで、かんちゃんと呼びかける。口もとの表情がなんとも言えず、従容という言葉があてはまる。ベリーダンスも終わりに近づき、アメリカ人がいっしょに踊り出している。終わって「文明国!」という感じのデュバイの道をホテルにむかい、10時ごろ帰着、初日が終わった。