このごろ、ひげ面の外国人の顔がありのままに見えて、外国人という意識がなくなっているのだが、食事のテーブルの横におすわりをしているカン太の横顔も人間に見えている。日本人は散歩で犬に引っ張られたり、日本の犬はやたら吠えたりするが、それをもって「犬は飼い主に似る、だから日本人はだめだ」という論調があって、ちゃんとしつけないといけないと思ってきた。ごはんを食べていて、ママがカン太にすこしづつあげるのはよくないと思っていたのだが、「いいじゃない、誰に迷惑かけるでなし」という。それもそうだと思い直していたところだが、おばあさんは「 おや日本人は犬を飼う」という。むかしマッカーサーが日本人の精神年齢を12歳と言ったが、それにはこれから成長するという、あたかも幼稚園児を見守る保母さんのような気持ちもあったはずだ。それに似て、おばあさんも「日本人はよくやるね」と見守って来たのだが、「ここに至って犬を飼うまでになったか」というニュアンスを感じた。西洋人はみな犬が好きだが、単に好きを越えて犬を飼うことは彼らのプライドであるようだ。そのプライドの域にまで日本人は来たかと言っているように聞こえたのだ。それでも「人間はみな兄弟だ、しかしわたしが兄だ」と言ったシュバイツァーのように、西洋人にとって犬は家来だ。だからしつけがきびしい。しかし、我が家のカン太は人間だ。しつけなどしなくても、リード無しで散歩してみせる。
25日(土)、ダンマンのホテルから、3月の飛行機代620リアルを払えと電話がかかってくる。何を言ってるんだ、切符をなくしたのはお前の方だ、今サウディアにリファンド申請中だ、支払われたら返すと言って電話を切る。日本人会の旅行で6月にヤンブーというところにダイビングに行くという案内が3月にあり、行かないよと無視していたが、島へ行って水遊びとかいろいろあって楽しいよと妻が聞きつけて来て、いくことにしたので、トラベルレターの行き先にヤンブーと書いてくれと人事に言って書いてもらう。
26日(日)、幹事さんに電話してヤンブーの案内を送ってもらい、申込書をファックスする。