27日(月)、ダンマン行きで朝5時45分に家を出るが運転手が来ていない。タクシーで飛行場に行くが、あれ、切符がない。きのうズボンを変更してそのせいだ。やむなくコンパウンドに戻ると、運転手は遅れて来て追いかけたよとゲートの門番が言う。切符を持って再びエアポートへ。2時のフライトに変更しオフィスへ行くが、運転手はいない。家で寝てるのかと同僚の運転手が調べに行く。しかしアパートの前にパトカーが2台止まっていた、手入れだと恐れをなして運転手は帰って来てしまう。手配した代車が来る。ひるめしを家で食べ、再度飛行場へ。
ダンマンに着き、レンタカーを初めて借りてホテルへ行く。とにかく自分で動けるようになりたいのだ。
翌28日。車はあるよと自ら運転して客廻りをする。どうもまだ左ハンドル、右側通行に慣れていなくて、車線の右の方を走ってしまう。右側のマージンが少ないのがこわくて、真ん中か左側の車線を速くもないのに走ってしまう。車線の右から順に「スロー、ミディァム、ファーストだよ!」とセールスにからかわれる。5月のダンマンは暑いが、まだ気温は38度だとセールスが言う。かいた汗がすぐ飛んでしまうので汗をかかない。車に乗っていると、座席にすわっているところは汗をかき、車から降りるとそれが蒸発して涼しい。こどものラクダを2〜3頭積んだ車が併走する。セールスは「ラクダだ、ラクダだ」と大喜び。ラクダの目の表情がなんともいえない。売られる恐怖はなく、どこかを見つめるでなく、身をゆだねていることを心配していない表情で、カン太を抱え上げて風呂に入れるときのカン太の表情と同じだ。市場へ売られていく子牛に同情するドンナドンナというアメリカの歌がある。「市場へ続く道で、悲しい目をした子牛が車に乗っている」という歌詞だが、あの目は悲しい目ではないよ、西洋人には悲しく見えるのだろうが、子牛は市場に売られにいくということはわかっていないんだよ。自分が子牛の立場になったら悲しいだろうから、子牛も悲しいだろうという人間の勝手な思いこみが歌われているだけだ。