翌土曜日22日、商社のベテラン日本人が帰国するので飛行場で見送る。半年ちょっとのつき合いだったが、奥さんともども海外生活のお手本のような人で、強烈な印象を残してくれた。「大変ですが体に気をつけて」と逆に挨拶されるが、もうこのころは大変じゃないと思っているので返事がうまく出ない。
23日(日)、ダンマンに出掛ける。2日後25日、初めて巨大な25kmの橋を渡ってバーレーンへ。夜10時頃、豪華なインターコンチのがらんと客のいないメザニンのレストランでめしを食っていると、ドンと大きな音がする。かすかにガラスもびりびりと震えたようで、地震か、あるいはジェット機の衝撃波かと思う。
翌26日、外に出ると、ビルの上のほうにある温度計が42℃を指し、湿気がむんむんして暑い。まだ夏の暑さを知らないので、もしかすると大変かもしれないと思っていたところのこの暑さ、シャツの下からどっと汗がわいてくる感じで、なるほど、これは大変だ、ジェッダより湿気が多いのだ。
27日、客先に行って、25日の音は米軍の施設が爆破されたのだと知る。
夜、家に着いてカン太のお尻がほっそりしているのに気づく。
28日(金)、4時からサッカー。終わってつぼを床屋につれて行く。人に聞いたフィリピン人の床屋で、まずまずだ。ガソリンの入れ方、床屋、病院と外国暮らしの不安はこれで全部クリアーした。商社のベテラン日本人が教わっていたエジプト人のテニスの先生をつぼと妻が引き継いでテニスを始める。一日がびっしりと終わる。
7月1日(月)、総務から小包が着いていると連絡がある。小田原の近所でゴールデンを飼っている人がカン太のおやつを送ってくれたのだが、それが税関でストップ。総務のスーダン人が運転する車で、噴水の先のジェッダ港にあるポートオーソリティーに取りに行く。スーダン人は親切で、これは仕事ではなくプライベートで、いいんだろうかと少し思うが、公私の区別というのは彼等にはないんだと遠慮無く親切を受ける。建物に入ると、お〜、段ボールがあるじゃないか。ちょびひげの謹厳なサウジ人の部屋で沙汰を待つ。「犬は好きか?」と聞かれて好きだと答える。「以前、ドイツ人が犬をつれてきて、放してしまって野犬になった。だからちゃんと飼え」と言われる。結局2時間待ったが、検査をするから後日来いということで終わる。