27日、パルミラにタクシーで出かける。有名なペトラ、ペルセポリスと並ぶ遺跡で、2000年前の神殿だ。砂漠を飛ばして2時間半で到着。柱は写真で見るギリシャやローマの遺跡と様式が同じだ。小山になっているので上まで登る。おりてくると、ほら穴のようなところにいるおっさんがおい!と声をかけてくる。応対のしようもないので無視して山をおりる。再び砂漠を飛ばしてホテルに戻ったが、しかし、シリアの砂漠はサウジの土漠と違って土がなくきれいだ。往復115ドルもしたぜいたくな休日だったが、仕事ついでというのが残念だ。
29日、ジェッダに着いて、イミグレーションでコンピューターに行けと言われる。イミグレーションでのトラブルは意地悪をされているという先入観がずっとあったが、今は単にデータが合わないという程度の間違いをコンピューター上で修正するだけのことだと安心している。外に出ると出迎えの運転手がいない。まただ。家に戻ると、カン太はまた骨を食べ、22日(水)にひどい下痢をし、25日(土)にSYKさんのご主人に病院に連れて行ってもらったとのこと。それから11月に注文したお皿は1ヶ月前に入荷してるとのこと。
30日、同僚の後任が着任するので夜中に迎えに飛行場に行く。
5月1日(金)、妻はクラシックバレーを習い始める。先生がきれいな人だそうだ。カン太の散歩中、誰かが「カン太!」と呼び、カン太が振り向く。それを見ていたテニスの先生が「彼は名前がわかる」と間違った英語をしゃべる。リモージュのお皿をやっと手に入れる。1年以上かかった。
7日(木)、今年も新任の先生が四人来たので、歓迎会がムラブスタンである。
12日、同僚の後任をバグシャンホスピタルに連れていく。中に入ると看護婦のフィリピン人がみなきれいに見える。2年半前にきたときと違い、病院がちっとも憂鬱でない。夕方、センターでバレーの先生とすれ違う。続いてSYKさんに会う。SYKさんは去年の2月、ラマダンコンサートのあとで着任した、はっとするような美人で、ご主人はラマダンコンサートの首謀者のひとり。バレーの先生がきれいだという話をし、SYKさんもいい勝負ですよという。今日は美人デーでいい日だ。