ダンマンのホテルはシェラトンに買収され、丸Sのマークが燦然とついているが、中身がいっぺんにシェラトンに変わるわけではない。ホテルの前に大きな本屋が出来ていたので入ってみる。ガイドブックを売っている。手は日本のに伸びる。目はどうしても小田原にむかう。「小田原は箱根の玄関口で、お城はあるがレプリカで価値はない。行くなら桜の季節くらいである。」と辛辣なことが書いてある。その通りだが、レプリカだから気楽でいいんだよ。
17日朝、リヤドに移動。車のオークションをやっているところに行ってみるが、マイクでがなりたてていて、その騒々しいことすさまじい。とても参加などできるものではない。19日、ジェッダに戻る。春で南風なので北から着陸する。ターミナルへのバスの中で、目の大きなサウジ人がアバヤの前をはだけていて、おへそが見えている。一体何なのかさっぱりわからない。家に帰る。17日に先生2家族とSYKさん母子が帰国したそうだ。妻と合う人が3人もいなくなってしまった。去年3月にカン太を預かってくれた人もまもなく帰国する。3月は別れの季節。しかしカン太を預かってくれる人がいない。21日になって、去年ナジュランへ行ったときのオーストラリア人が預かってくれるとのことで一安心。24日夜、パリへ出かける。 25日早朝、眼下にパリの夜景が広がる。灯りがナトリウム灯でジェッダみたいだ。今年からユーロになったと聞いて楽しみにしていたが、両替ではフランが出てくる。大口取引がユーロになっただけで、小銭がユーロになるのは2002年だと言われる。バスでノボテルへ。9時半に着いてチェックインすると、カウンターの女性がまだ部屋が用意できてないという。何をいってんだ、いつも準備できてる、朝早く飛行機が着くのは常識だろうというと、女性はけんか腰で食ってかかってくる。客とけんかをしている店員はよく見かけるがこれだな。お前とは口を利かんというと、「口を利かん?」とまた食ってかかってくる。結局10分待って部屋に入ったが、景色の方向が悪い部屋。とにかく準備して1時半、いざパリへ。14号線でピラミッドへ行き、またラーメンとギョーザ、こんどは場所がわかってるので犬のクッションの家具屋に行ってひとつ買う。サンジェルマンダプレへ行ってモンパルナスタワー方向に向かい、ジュヌビエーブルチュでお皿を買い、アガサで犬のピアスを買う。どちらの店も光りの使い方が上手でパリの色。買い物も慣れて、だんだん目指すものが買えるようになってきた。地下鉄を探して6号線で遠回りして14号線に乗って、春巻き、ビール、ジュースを買ってホテルに帰る。ねむいねむい。