13日金曜日昼過ぎ、ダンマンに出発。飛行場でかばんを預け2時間で到着。小さな飛行場で、タラップを降りてホールまで歩きなのがありがたい。荷物が出てくる。取り上げると、おや、キャスターがない。とられた。ジェッダと同じ商社がコバールにあって、出迎えの車が来ている。車はGMのバンドゥーラ。小さなバスほどの車で、ぶ〜うぶ〜う〜というエンジン音が、人によっては好きなのだそうだ。ホテルに入って、中華料理を外で食べて、この日はおしまい。
翌土曜日、いよいよ仕事の開始だ。ホテルにセールスが迎えにくる。大柄なイエメン人で顔立ちが立派で、態度もゆったりしていて少し安心する。代理店の事務所にいく。パレスチナ人のマネージャーと対面する。日本人から見れば西洋人の顔で、歓迎の意を笑顔と上手な言葉で表すのでひとまず安心する。打ち合わせを終わり、今夜は我々はフリーだと同僚が晩飯を催促する。夕方、委細はわからないが3人でおんぼろ車に乗り込み、そのことがおかしくてマネージャーはわっはっはと高笑いしながら、彼の家に寄って彼の子どもを乗せ、レストランにいく。小学生の男の子だが、仕事の飯に家族をつれてくる気がしれない。料理はレバノン飯で、前菜の野菜だけで日本人には充分の量だ。メインディッシュは始めて食べるシシカバブだ。
同僚の同行は一日だけで、引き続きひたすらクレーム対応をする。四日目で仕事は終了、明日はジェッダに帰れるので、ホテルの最上階のレストランの寿司を食べてみたが、ごはんはぱさぱさで固く、ねたはどす黒く、醤油はどろどろでまずく、部屋は暗いで牢屋の飯のようだ。あ〜いやだ、早く帰りたい。翌朝、帽子がなくなっているのに気づく。結局使わなかったのだが、またとられたのだ。ゆっくりと飛行場へ出発し、ジェッダに戻ってくる。憂鬱だったジェッダがなつかしい。事務所に寄ると、日本から手紙が着いている。手紙はすべて、スポンサーの私書箱宛に気付けでくる。
翌木曜日夕方、ゲストハウスに晩飯を食べにいく。車はないので歩いていくが遠い遠い、30分はかかったろうか。帰りも当然遠いのだが、もう暗くて気味がわるい。フィリピン人らしい3人連れくらいが「おい」というニュアンスで声をかけてくるが無視して通り抜ける。道路を横断する。道路のランクとしてはメディナロード、それと直角の道路の次の3ランク目の通りだが、3車線あって、時速100kmは出る。東名横断よりも危険とのアドバイスがあったが、そのとおりだ。