1.はじめに

主宰は音楽を聴くことが好きです。こどもの頃、NHKのラジオから流れるクラシックが耳に入っていたことがきっかけだったと思います。まもなくテレビのN響の演奏も目に入り、小学校でも歓喜の歌を習うなどして曲を覚えていきました。主宰のこども時代は、戦後の音楽教育が始まったとはいえ、親の世代は「音楽とは婦女子の技なり」の世代ですから、こどもたちの間でも音楽は女たらしのすることだという蔑視がありました。戦後の音楽教育は中学におよび、そこでもレコード鑑賞といって何曲も覚えます。時は黄金の60年代に入り、ちまたに流れるポップスもいやでも耳に入ってきます。文化放送と日本放送を使ってのステレオ放送を兄と聞いたものです。高校2年の春休みにラジオを作りましたが、そこから音楽が流れてきて、一段と音楽が手元に引きよせられました。家にいるときは四六時中音楽漬けです。FMチューナーを買い、当時実験放送だったNHKは一日中クラシックを流していますから、どんどん聞く範囲が広がります。レコード雑誌をむさぼるように読み、音楽評論家という人がいることを知り、すぐに浪人という試練が主宰を襲いますが、めげずに図書館で吉田秀和のレコードの本など読みふけり、オペラがわかるようになり、年末のバイロイト音楽祭に出会います。大学に入っても山に行っているか、FMを聞いているかの生活が続きますが、時は大学紛争時代で、音楽評論家の言説が甘いということに気づく。しかし音楽自体が甘いということにはならない。就職して家を出て、新聞テレビのない生活が10年続き、結婚してステレオを買い音楽再開、CD、DVD時代となって今に至っているわけですが、音楽のすばらしさを言葉であらわしたそれら専門家の文章は浪人時代から3〜4年の間に読んだり聞いたりしたことです。いわく、オペラの荒唐無稽さは作曲家が聴衆に聞きやすいサービスをした結果であって、そのために音楽的完成度を低めているとしても、音楽の価値を低めていることにはならない(遠山一行)、オペラは日常の小さな感動の瞬間を拡大(Magnify)して表現したもの(バーンスタイン〜吉田秀和訳)、音楽は作曲家と演奏家と聴衆がいっしょに作り出す創造行為(フルトベングラー)等々です。これらに付け加えることなどありはしないという気持ちと、付け加えて何かを書きたいという気持ちがずっと拮抗していましたが、カン太の楽観にならい書き始めることにしました。先人の文章は必要に応じて引用することにします。2009.7.12

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