14.ドボルザークのチェロ協奏曲

主宰がオペラ以外で40年来好きな曲は、ドボルザークのチェロ協奏曲と、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」です。チェロ協奏曲はロストロポーヴィッチのチェコフィル、ターリッヒ指揮のレコードがもともと家にあったので、曲は知っていました。1966年頃来日したロストロポーヴィッチのN響との演奏がすばらしく、テレビ画面を写真に撮ったり、録音もし、オペラ同様に何度も聴きました。この時の演奏は第3楽章での海野義雄のヴァイオリンソロとの掛け合いがすばらしく、この曲の演奏のスタンダードとして耳にこびりついています。

この曲の何がすばらしいかというと、ドボルザーク特有のボヘミアの和音に乗って、3つの楽章それぞれ全く異なる旋律が気持ちがいいからです。ベートーベンと違って、最後にこう解決するよという予感がなく、最後を予想しながら聞く努力が不要で、流れのままにいい気持ちになっていればいいからです。ウィスキーを飲みながらリラックスしているのと同じです。ドボルザークはアメリカに行って有名な交響曲「新世界」と弦楽四重奏曲「アメリカ」と、このチェロ協奏曲をこの順番に作ったのですが、チェロ協奏曲が一番すばらしく、アメリカがそれに次ぎ、新世界はよくありません。「新世界」はなぜよくないか? 3曲ともボヘミアの香りは同じなのに、何が「新世界」はよくないのか? それは音楽の効果というものをストレートに出し過ぎているからです。旋律のわかりやすさは乙女の祈りに匹敵して、だからつまらない。劇的な効果はチャイコフスキーの1812年序曲ほどではありませんが、大げさでつまらないのは同類です。

NHKは教育テレビでずっとN響アワーを放送していますが、1980年代は芥川也寸志、木村尚三郎、中西礼の豪華メンバーで放送されていました。ある時、新世界が放映されたのですが、曲の前の座談で、芥川也寸志の司会を受けて、木村尚三郎が(新世界は)「きらいです」と言い、中西礼も「きらいです」と言っていました。なぜかは言いませんでしたが、要するにクラシック入門曲のわかりやすさは、聴き込んでくるとつまらなくなるということです。大変納得しながらテレビを見ていたのを思い出します。

さて、チャイコフスキーの悲愴もチェロ協奏曲と全く同じ理由で好きです。旋律も和音もチェロ協奏曲とはまったく違いますが、お話がそれで、それで・・と続いていくように音楽が進行して行って、それに身をゆだねていればいい気持ちよさです。ピアニッシモで曲が始まり、途中おばあさんがショック死したとかいうフォルティッシシモがあり、第3楽章でこれで終わりというフォルティッシモにもかかわらず、第4楽章のピアニッシモが始まり、ああ、悲しい、悲しいと言いながら消え入るように曲が終わる。ベートーベンの運命はフォルティッシモで始まり、フォルティッシモで終わる、劇の作法からいったらルール違反だと書きましたが、悲愴こそ劇と言うにふさわしい。チャイコフスキーは旋律の天才で、交響曲第5番も同様に好きです。彼のバレー音楽もとにかく気持ちが良くて、白鳥の湖はやや新世界的で好きではありませんが、くるみ割り人形や眠れる森の美女は、オペラの椿姫やボエームに相当します。オペラ「エフゲニー・オネーギン」の舞踏の場面の心躍る旋律も、バレー音楽の天才を示しています。チャイコフスキーは唯一1812年序曲のみが駄作だと言ってよい。

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