15.ベートーベンの第2楽章
ベートーベンの音楽は強弱が激しく、音の大きな所はおおむね劇的なクライマックスで、それが大げさだったりうるさいと人が感じたとしても、その人を非難することは出来ません(前々回書いた我のつよい人は非難しますが)。でも、それゆえにベートーベンがきらいだとは言ってほしくないのです。ベートーベンの第2楽章は一般に緩徐楽章で、複雑でもなんでもない平易な音の組み合わせから出来ていますが、静かな曲にもかかわらず緊張感に満ち、旋律が美しい。最初の音が始まって、次の音がこの音であることが納得させられる。その次の音も納得させられるのですが、その次その次の音が予想出来るわけではないので、次はどうなるのだろうと予想し続けて聴くことになります。カン太を連れてサウジに行ったとき、いつか帰ることになることは充分予想出来るのですが、それがいつどういう風に実現するのかはわからない、いつもそのことを考え続けながら日々を過ごしましたが、これと似ています。最初の一音が鳴ったとき、最後の結末にどういう風に至るのだろうかを想像し続けながら一音一音聴き続けるのです。多分、ピアノソナタ「悲愴」が「ベートーベンの第2楽章」と言える最初の作品だと思いますが、同じくテンペスト、熱情と続きます。チェロソナタ第3番は第3楽章冒頭部分がこれに相当してすばらしく、ピアノ協奏曲では第3番、バイオリン協奏曲に至っては、これがベートーベンの曲かというような優美な音楽です。交響曲第3番「英雄」は革命的音楽なので、第2楽章の葬送行進曲はこの文の趣旨とは違いますが、5番、7番は面目躍如の第2楽章で、第9は畢生の例外で第3楽章がすばらしいことは以前書きました。
ところでマリア・カラスが歌うベルリーニのオペラ「ノルマ」の「清らかな女神よ」にも同じものを感じます。最初の一声が曲の終わりを予感させながら、直線的にではなく必要な必然の音をたどりながら終曲に至る。あたかも向こうに山の頂上が見えている。そこへ至るには切り立った稜線を歩かなければならない。一歩間違えば谷底に転落する。だから一歩一歩をていねいに注意深く歩く。呼吸も息をとめて一歩を踏み出し、息を吸って再びとめて次の一歩を踏み出す。頂上に着くまでこの緊張が続きます。だから演奏者の表情があんなに真剣なのです。おちゃらけていたら演奏出来ない音楽です。