12.ボエームとワルキューレ(2)

ラ・ボエームを初めていいと思った記憶は定かでないのですが、やはり吉田秀和のラジオで、「ミミは病気なんだ!」 という台詞が大げさに歌になる、オペラというのはこういうものだという話しを(3度目の引用になりますが)バーンスタインの音楽の喜びを引いて説明していたのが最初の頃の記憶です。この頃は、椿姫も耳に入っていて、最初はただ甘いきれいな曲だくらいに冷たかったのですが、オペラに洗脳されていく過程で素直に気持ちよければいいんだと宗旨替え、1966年、ベルリンドイツオペラの椿姫でのピラール・ローレンガーの乾杯の歌が今でも目に浮かびます。椿姫もミミも当時の時代病肺病で死ぬ悲恋物語で、かわいそうだという同情は甲乙つけがたく、旋律の気持ちよさも甲乙つけがたいのですが、ラ・ボエームの方が時代があとだけに、旋律は現代風で、多分わかるのに椿姫より時間がかかったと思います。内容はと言うと、椿姫はパリに住む高級娼婦で毎晩宴会ばかりやっている堕落した女(ラ・トラヴィアータ)という、我々にはわかりにくい世界であるのに対し、ボエームの方はラ・ボヘミアン、今で言えばヒッピーのようなものですから、時代は19世紀のパリですが、最も違和感のないオペラです。

1973年に就職し、10年間テレビラジオ新聞のない時代を経て結婚し、1984年にステレオを買い、音楽が再開しました。椿姫は思い出のピラール・ローレンガーを買い、ボエームはやっぱりテバルディーかなとテバルディーを買いました。1985年頃、藤原歌劇団のボエームを文化会館で渡辺葉子のミミで聴きました。幕前に五十嵐喜芳の解説があり、最後に「練習を終わって皆で泣きました」と言っていました。幕が開き、1幕を聴きながら、筋の先を想像して涙が出てきます。NHKイタリアオペラのガラコンサートCDでのテバルディーの「私の名はミミ」を何十回となく聴き、ジェッダ時代にラジカセからホセ・カレーラスの「冷たい手」が流れた時のうれしさは「カン太サウジ小説編」に書きました。ロンドンでテバルディーのライブ版を買い、レコード以上にすばらしく、最近ではアンドレア・ボチェッリのテレビを録画したものが保存してあります。

プッチーニの音楽は、「音楽は感情を表したもの」の最上級のものです。第1幕、ロドルフォのアリア「冷たい手」は、こんなに熱烈に口説かれたら、どんな女の子だってまいっちゃうよというものだし、「私の名はミミ」が終わって第1幕の終章、舞台裏に姿を消して二人が歌う「アモール! アモール! ア〜モ〜〜ル!」は思い浮かべるだけで涙ぐんでしまいます。第2幕は気楽に聴けるおきゃんなムゼッタ。第3幕はいまだに筋をきちんと知らないのですが、台本を当たって聴いたらたまらないだろうと想像してます。第4幕、「古い外套よ」はなくてもいいと思いますが、二人だけになって「みんな行ってしまったのね・・・」を歌い、ムゼッタが持ってきた手袋をして眠りにつき息絶える。みんなの様子がおかしいと気がついたロドルフォがミミの死に気がつき、泣き崩れる。ここはオーケストラが第9第1楽章と同じ空5度を奏で、圧倒的な効果をもたらしている。何度聴いても一番好きな曲です。

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