16.レコードとライブ

これまで音楽談義はレコードとライブの区別をしないで書いてきました。ライブはひとつしかないライブですが、レコードはスタジオで録音したいわゆるレコードと、実際の演奏会場での演奏を録音したものの2種類に分かれます。音楽とは何かと考えたとき、それはライブ演奏であることは自明で、聴いた瞬間に音は永久に帰ってこないのですが、だからこそライブが全てであるという考えは成り立ちます。ごはんがおいしいところで書きましたが、おいしいと思った瞬間は二度と帰りません。それでもおなかがすくとまたおいしく感じるのでまた食べるのですが、前回同様おいしいと思う保証はありません。主宰がこれまでの生涯でこんなにおいしいものはないと思った記憶は5回ほどしかありません。こういう生涯の経験というのは何度もあるものでなく、それでも懲りずに今晩もビールを飲みますが、余り飢えて(喉が渇いて)いないので、バーレーンで飲んだビールにはかなわないだろうと99.9%言えます。音楽で生涯忘れられない経験はというと、ライブを聴いたこと自体がほとんど覚えているくらいの回数(多分20〜30回くらい)しかありませんから、食べ物ほどの記憶の回数もなく、1998年ローマで観たトスカくらいです。その他もちろん覚えてはいますが、あとは2000年ディミトラ・テオドッシューの椿姫くらいです(バーレーンのビール、ローマのトスカはカン太サウジ小説編に書いてあります)。テオドッシューは終わって妻が2〜3万円もする切符代を「高いと思わないよねえ」と言ったほどの公演でしたが、しかし実際の所、演奏会で全てがわかっていたかは疑問です。その後DVDを何度も観ていて、そこでわかることも多い。

この談義で書いていることの多くはレコードを聴いてのことなのです。ではこの談義はむなしいのか、あるいはしばしばレコードを聴いていい気持ちになっているのは無駄なことなのか? 結局、レコードはこれがライブであると思い込んで(そのつもりになって、敢えてだまされて、錯覚して、等々)聴くから、いいと思うことがしばしばあるのです。この点は食べ物とは異なります。食べ物の場合は、毎日同じものばかりでいやだと思ったとしても、謂わば全てライブですが、音楽の場合はレコードというバーチャルなものが、人間の創造力を介してライブにおける感動のようなものをもたらすことがあるということです。ライブが全てであると突っ張る必要もないのです。レコードの欠点は、スタジオ録音の場合、継ぎはぎが出来ますから、ライブの時だけにある感動が途切れてつまらないものになることがひとつと、いつでも聴くことができるという利点がそのまま欠点にもなる、同じ食べ物を食べ過ぎて飽きるのと同じです。ライブ録音の場合は前者の欠点はない。もちろん間違いだらけの演奏で、演奏家が発売を拒否することもあるでしょうが、間違いがあるからライブとして価値が低いということには必ずしもならない。サヴァリッシュ指揮のバイロイト音楽祭でのタンホイザーのライブは、合唱とオーケストラとが合わず、あれよあれよとずれ、それが不思議な求心力で再び合うところがありますが、ライブならではの緊張感です。いつでも聴くことが出来る欠点については聴き過ぎなければよい。ラジオやテレビの放映は自分で選ぶことが出来ませんが、かえって聴きたい曲や演奏に出くわす楽しみがあります。ライブはそれこそ、自分で時間を選ぶことが出来ない、しかし何ヶ月も前から公演を楽しみにするという楽しみがあります。

まとめると、

1.レコードはある程度聴き込んだら、あとは程ほどにする。

2.ライブ録音のレコードがよい。

3.たまにはライブを聴く。

というのが音楽のある生活ということになります。

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