18.レコードと音楽配信
レコードの話が続きましたので、音楽配信についてこうあって欲しいということを書きます。
昔、レコードはダイヤモンドのような貴重品でした。一枚2000円くらいですが、金額もさることながら、レコードから音楽が聞こえてくるということが、この世の最良のもののひとつに感じられていたわけです。ジャケットもわくわくするものでしたが、レコードに針を落とす瞬間がたまらないと昔の人は言ったものです。さらに昔のSP時代には、竹針を削りながら3分ごとにレコードを替えたそうで、それはそれで楽しみとしてすばらしいのでしょうが、冷静に考えれば音楽が途切れるので、極めて物足りないものです。媒体はどんどん変わってCDになり、ビデオやレーザーディスクに至って映像まで見えるようになり、現在はCD、DVDが全盛ですが、インターネット、特に10年前にブロードバンドが始まって、音楽配信が始まりました。先鞭を付けたのはNapstarですが、著作権を無視していたので敗訴、代わりにAppleが始めたiTunesミュージックストアが単純な課金制度とダウンロードで成功しているというのが現状です。
さて、音楽を聴く手段としてはレコード(CD)を買うか、ラジオ・テレビの放送を聴くか、さらには切符を買ってライブを聴くかのいずれかでした。放送やライブの、聴きたいときに聴けないという欠点は今も昔も変わりません。レコードは持ってさえいれば聴きたいときに聴けるので、この魅力がレコード産業を支えて来たはずです。床が抜けてしまうほどのレコードを買い込んで満足げな蒐集家の記事を時々見たものです。しかし音楽を聴く満足は音が聞こえて満足するものであり、音の出所がレコードであれ、インタネットを通じたコンピュータからであれ、差はありません(音質の良し悪しは技術的問題です)。ならば、床が抜け落ちるほどのレコードというのは無用の長物、邪魔者ではないのか(レコードより小さく軽いCDも程度問題です)? 現在成功しているiTunesはレコードとさほど変わらない値段がついていて、レコードのように「物」を扱う手間は大幅に省けているので使いやすいのですが、ダウンロードして自身のコンピュータに保存するという点ではレコードと変わりがありません。聴きたいときにサーバーに保存してある楽曲にアクセスしてその都度聴く(ダウンロードするのではなく、ストリーミングで聴く)ことが出来れば、音楽を聴く楽しみが、床が抜ける、あるいはハードディスクがいっぱいになる心配をすることなく楽しめるのです。問題は楽曲を聴くことに対する報酬です。買って自分のものにしたレコードは、所有権が自分にあるから、すり切れるまで聴くことが出来るというのが古典的な所有の形態でした。インタネットを通じてストリーミングで聴く場合に、その都度同様の値段を課金されるのではたまったものではない。そもそもレコードという複製された著作物に聴く人がお金を支払うとはどういうことか? これはいわゆる著作権に対して対価を支払うというのがこれまでの考えですが、そもそも著作者に対してお金を払う目的は何か? それは著作者を大もうけさせるためではなく、優れた著作をした著作者に、引き続きいい作品を作って聴かせてくださいねという投資なのです。著作者が作品を作り続けるためには生活費が必要で、さらに何がしかのモチベーションにつながるプラスアルファの報酬があればそれでいいのです。昔は王侯貴族が、才能ある音楽家を個人的に見抜いて身ぐるみ面倒を見て、それでベートーベンもワーグナーも作曲をすることが出来た。いわゆるパトロン制度ですが、この制度には、ベートーベンやワーグナーは幸運にも目に留まったから後世に作品を残すことになったが、目に留まらなかった芸術家も多数いただろう欠点があったはずです。現在は王侯貴族の代わりに一般市民の少しずつ払うお金がパトロンの役割を果たしているわけですが、現在のほうが目に留まらずに消えていく芸術家は少ないはずだということが、「現代」の「唯一」の取り柄であるはずです(逆に超弩級の芸術家が抹殺されている可能性はあります)。
だから芸術家が継続して活動していけるだけの報酬を聴く人が還元し、聴く人も少ない負担で聴きたいときにいくらでも聴ける仕組みを作れば、芸術家が存続し、視聴者の満足も増大する、昔のレコード時代より総満足度(音楽におけるGNPのようなもの)が高い状態が実現するわけです。具体的には、インタネットのブロードバンドが使い放題の定額制で広まったのと同じ定額制を導入することです。
(こう書いていたところ、Napstarが2006年に定額制の音楽配信を始めていたことを知りました。先人だけあってさすがというところですが、のぞいて見たところ、900万曲あると謳っていますが、主にポップスで、美空ひばりも山口百恵もなく、聴きたいと思うのはサイモンとガーファンクルくらいでした。しかし、これは現状がまだまだ改善の余地があるということであって、すでにビジネスモデルはあるわけです。レコード会社が何社もあって、どの会社のレコードも購入することが出来るのと同じ仕組みを導入すればいいことです。これまでの全レコードとこれから生まれる新曲を複数の配信会社でカバーすればよい。具体的には、航空会社が顧客を互いに融通しているアライアンスのような仕組みを作ればよい。このようになかなかならないのは、技術的な問題ではなく、業界の志が低いことから来ていると思います。それから、Napstarではダウンロードも同額で出来ますが、これは実際問題として900万曲も人は聴かず、よく聴くのはせいぜい1000〜10000曲くらいと思われるので、よく聴く曲はダウンロード、試し聴きはストリーミングという使い分けということでしょう。これは現状のストリーミングが聴きたい曲にアクセスする手間がややかかることから来るもので、ストリーミングに「お気に入り」のようなサービスを付加すればダウンロードも不要になります。)
定額制ストリーミングは音楽配信に留まりません。映画も放送コンテンツも出版物(本)も同様です。Googleが過去の全ての著作物をインターネットで閲覧できるようにたくらんで、著作権者は反対するという争いが続いていますが、著作者の生活を保障するという点にのみ留意すれば実現可能です。テレビ業界はインタネット配信でお金を徴収しようとしていますが、これも志の低さを表しているだけであって、コンテンツを再生産できるだけの課金(定額制)をすればいいのです。
この提案の目指すところは、定額制で(コピーものを聴きたくても聴けないという)喉の渇きが止まった時、最終的な価値はコピーものではなくライブにあることに皆が気づき、コピーものはライブの補助としての役割を果たすのだということに皆が気づくことであると主張するものです。