6.合唱とは
今回のガラコンサートの練習では、知っている曲でも、それはたいがい主旋律を知っているだけなので、自分のパートは初めてのようなものですから、知らなかった曲はもちろんの事として、一通り歌えるようになるまでは、練習は苦痛でした。歌詞を覚え、旋律が歌えるようになって(「音が取れる」と言うのだということを知りました)初めて練習が楽しくなりました。歌うことは気持ちがいいからです。しかし、今回のプログラムは一曲一曲の性格がまるで違うのでただ音が取れたというだけでは不充分で、曲の場面場面の性格を表現に込める、その場を想像して、その人物になり切ってその気持ちになって歌う、歌詞は内容を表しているのだから、歌詞の内容にリンクさせて歌う等の指導を受けました。
カルメン「たばこ女工の合唱」を一通り練習した後で、「次回からは音楽にして行きましょう」と言われたり、全曲の練習が終わった時点で、「これからは練習でなく、演奏するという気持ちを持って歌う」とも言われました。
「音楽にする」とか、ただ音をなぞるのではなく「演奏をする」という言葉が表しているものは謂わば「表情」とか「味付け」というようなものでしょうが、これがあるのとないのとでは全体の出来がまるで違います。だしの出ていないスープのようなもので、水清くして魚は住まないのです。よく駅前などに、正時に音楽を奏でる時計がありますが、何の曲かわからないほどひどい音楽であることが多い。楽譜を機械的に音に置き換えただけでは音楽にならないということです。
しかしこの味付けだけに頼っても演奏の出来映えは保証されません。演奏の総合点はどのように決まるのでしょうか?
総合点は発声、音取り、表情のかけ算(足し算でなく)で決まります。つまり、どれかひとつが零点だったら総合点が零点になってしまうということです。
更に、これらには発声5、音取り3、表情2くらいの配分があると思います。
一番たくさん指摘された表情の配点が一番低く、基本的な発声が一番高い。
合唱はオーケストラと違って、人の声が合わさったものですから、音が合ってよく響いた時の美しさはたとえようもないものだということが今回わかりました。その上、人の声は言葉までしゃべるわけですから、最も優れた楽器であるということも出来ると思います。発声への配分が大きい所以です。 2010.4.3