13.我の強い人たち

二十歳前後の主宰を悩ませたことに、バッハとモーツァルトがいいという人(識者)が多かったということがあります(大した悩みではありませんでしたが)。

彼等のバッハ、モーツァルトがいいという言葉の裏に、(必ずしもはっきりとは言わないのですが)ベートーベンはよくない、あるいはきらいだというのが隠れているのです。もちろん、バッハもモーツァルトもベートーベンもいいという識者もたくさんいて、それはそれでいいのですが、しかし、バッハのブランデンブルグ協奏曲やモーツァルトのフルート四重奏曲は主宰は好きではない。ブランデンブルグ協奏曲は舞曲なのでしょうが、単調にリズムを刻む幼稚な曲に聞こえます。フルート四重奏曲は、音楽がまだ貴族の食卓での楽しみであった時代の御用音楽で甘ったるい。音楽が心を揺り動かす力を持つことを作曲家が自覚したとき、音楽は緊迫した、ドラマティックなものになるのは必然で、それまでの音楽は手慰みであるわけです。音楽史では古典派、ロマン派と分類しますが、それよりも、誰か(貴族)のために命じられて賃仕事として書く音楽と、だれが何と言おうと俺はいいものを書くという態度で作られた曲という分類のほうがいいと思います。モーツァルトは前者と後者が混ざっていて、天才ですから626曲も作って、且つ作りっぱなしで、自分の作品を掌中の玉のように大事にするということがない。一方、ベートーベンは音楽(芸術)の価値に目覚めた最初の作曲家ですから、俺の書くものが世界一だと、最初から作品1、作品2と自分で認定する。そういう態度の結果、一生で125曲しか書かなかったわけです(言うまでもなく、少ないと言っているのではありません)。

モーツァルトの芸術家意識の頂点はレクイエムで、悲劇的表現の極地にありますが、彼は深刻ぶるのは好きではなかった人だと想像しますから、オペラの方がバランスがとれていて、他の追随を許さない。一方ベートーベンはまじめですから、彼の曲は一般的に悲劇に片寄り、深刻な曲において他の追随を許さない。交響曲の第3楽章スケルツォは諧謔曲と訳されていますが、ベートーベンの諧謔は21世紀のお笑いで鍛えられている日本人には、ちょっと!と言いたくなる所があります。

さて、バッハとモーツァルトはいいが、ベートーベンは好きでないという人たちは、何が言いたいのだろうか? 彼等がバッハをいいというのを主宰は否定はしません。彼は教会に職を得ていて、そのための音楽を書いていたわけで、当時の彼の音楽にダイナミズムがないなどと言っても始まらない。それから彼等がモーツァルトをいいというのは、御用音楽以外がいいというのならば、主宰は同意します。では彼等はベートーベンの何が嫌いなのだろうか? それはベートーベンの悲劇的で論理的で、これでもかこれでもかと迫ってくる曲に自分が負けそうになるから嫌うのです。バッハやモーツァルトは俺の言うことを聞け!というところがなくて安心だが、ベートーベンにはかなわないことを内心ではわかっていながら負けたくないという「我」が強い人たちなのです。

当時の音楽芸術という雑誌に作曲家たちの座談会が載っていました。出席者ははっきりとは記憶にないのですが、諸井誠、三善晃、別宮貞夫といった人たちで、中島健蔵も出ていたかもしれません。座談の最後に次のような発言がありました。

「ある偉大なクライマックスのために必要なありとあらゆることをやって、最後にどうだと解決してみせる。こういうのは暴君ではあるまいか?」「ベートーベンですね」

ベートーベンの音楽を言い得ていますが、彼ら作曲家というのは、過去の曲を凌ぐ曲を書きたいと思っている人たちですから、親に反発する子のようにベートーベンにライバル意識を持ったとしてもそれは当然で理解できます。しかし、識者、音楽評論家がベートーベンを嫌うのは許せない。只の負け嫌いでしょう。そして彼等の後ろには文学の領域で小林秀雄がいました。当時の音楽評論家にとって小林秀雄は大先輩で、彼の「モーツァルト」は教祖のような働きをしていたようです。彼の自我の大きさも大変なもので、彼の自我にとってモーツァルトは共存できる作曲家だったのに対し、ベートーベンは「ちょっとごめん」と逃げる存在だったはずです。これは証拠があるわけではありませんが、主宰は今、小林秀雄を断罪するために書いているのではありません。ただ、小林秀雄のあとについていた音楽評論家たちを断罪するには図星であるはずです。

再び遠山一行を引きます。「私たちは死を見ることが出来ない。しかしモーツァルトの音楽は死を見た音楽です。私たちはこのような音楽に耐えられるでしょうか?」

これは次のように言い換えられます。「皆さんは死を見ることが出来ない。しかしモーツァルトの音楽は死を見た音楽です。私はそれがわかります。私は皆さんとは違ってモーツァルトと同じです。」

1年ほど前、本屋で遠山一行の「モーツァルト」という本が目に入りました。見ると、2006年、モーツァルト生誕250年で「新潮」に連載していたものをまとめたものでした。最終章につぎのように書いてありました。「モーツァルトの音楽は私たちの間でよく理解されているのだろうか? 今、一層理解されていないのではないか?」記憶なのであいまいですが、皆さんはモーツァルトをわかっていませんよと40年前と同じことを言っているのです。

遠山一行はベートーベンをけなしたことはありません。名曲の楽しみという本の「運命」の解説は見事なものだし、ヨーロッパでフルトヴェングラーの演奏で運命を聞いたとき「音楽に感動するということはこういうことだと思った」と書いています。しかし前2者の文はモーツァルトが至上だと書いています。これはもう恋愛感情と同じで、あなたはどっちが好きなのですか?と問い正すことになります。彼の答はモーツァルトです。主宰はモーツァルトのここと、ベートーベンのここが好きと棲み分けて、心おだやかに過ごせています。この音楽談義の教養主義のところで、彼が三島由紀夫の死を理解しないことを書きました。彼は自分が大事で、正面から向き合わねばならないときに、ふっと逃げる人です。こういう人にベートーベンを褒めてもらいたくない。

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