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8.指揮者について(1)

音楽の素人にとって、指揮者というのは不思議な存在です。客にお尻を向けて指揮棒を振りながら踊りのようなそうでないような動きを長い時間し続け、終わると皆が拍手喝采し、舞台裏に引っ込んだと思うとまた出て来て拍手を受ける。彼の動きに合わせてコンサートマスターが立ったり座ったりし、それに合わせてオーケストラの団員が立ったり座ったりする。コンチェルトや歌のソリストがいる場合には、彼等を引き立てもする。音楽評論家が彼を褒めたりくさしたりするのですが、評論家の批評がそうだなと思うことは少ない。というより、自分の言葉で批評をしてみたいという気持ちを長いこと持っています。かつてカラヤンが始めてN響を指揮したとき、「N響がこんな音を出す」と皆がびっくりしたそうです。テレビでよく見る演奏会の様子は音楽家が面白おかしくしゃべりませんから、なかなかすばらしいと思うに至ることは少ない。だからたまに指揮者(音楽家)の舞台裏を撮したドキュメンタリー風の番組は興味津々見入ります。音楽家というのは実にいろいろの言葉で音楽を表現しますが、これらの言葉も結局、こちらが自分の言葉でしゃべりたいという欲求に対立します。今回ガラコンサートの練習と本番で二人の指揮者(合唱指揮者とマエストロ)に指揮されるという経験をしたので、わかったことをいくつか書きます。

まず練習の大半は合唱指揮者によるもので、そもそも合唱指揮者というものがなぜ必要なのかを考えてみますと、一番の理由は合唱団というのはその他大勢ですから技量が乏しく、本番の指揮者にゆだねるまでにある程度歌えるようにしておかねばならないということはわかります。しかし専門のオペラハウスの合唱団でさえ、公演の最後のテロップで合唱指揮誰々と出ます。ということはまず、本番の指揮者の方が格が上であり、その上で本番の指揮者がオーケストラだけでなく合唱団の指導もするのは負担が大きすぎるから手助けをするということが理由のひとつと考えられます。もうひとつの可能性としては、合唱にはオーケストラと違った専門的な領域があり、それを引き出す専門性が合唱指揮者に求められるのだということです。今回のガラコンサートはアマチュアの合唱団ですから、ある程度歌えるようにして本番の指揮者に引き継ぐのが大部分の目的であったろうと推察しますが、しかし、実際問題として、23回の練習の大多数(16回)は合唱指揮者のお世話になったわけです(4回はマエストロの学生さん)から、最後の方でちょこちょことマエストロが出て来て親権を主張されても、16回練習してくれた育ての母である合唱指揮者のほうに情を深く感じるのは当然のことです。

それはともかく、練習最後の方でマエストロの練習が3回あって本番に至りました。そこでわかったことを書くと、まず指揮者というのは自分の持っている曲のイメージ通りに演奏者に演奏させる能力が高いことが必要ということです。そのためには手段を問わないという感じです。はっきり歌うためのたとえとして打ち立てのコンクリートに爪を立てるようにとか、カルメン行進曲の最後で各パートが部分部分を受け持つ一番むずかしいところでは、(遅れずに)先に食いつくように歌うとか、曲が盛り上がるところでは楽譜に自分の好きなおいしいものの絵(アイスクリームの上に乗ったいちごとか)を書いておくとか、リタルダンドが2回あるカバレリア・ルスティカーナ開幕の合唱の最初のリタルダンドは急激にブレーキをかけない、しかし2度目(最後)のリタルダンドはちゃんとブレーキをかけるとか、ほんのワンフレーズを「もう一回! もう一回! そう!」と何度も繰り返して思ったように歌わせます。

どう歌うか二通りある時に、「音楽というのはどっちでもいいのです、良ければ」と言ったり、カルメン闘牛士の歌のクライマックスでの終わるタイミングはその時の気分で決めるので合図するまで伸ばすと言ってしばらく指揮をやめて、皆がずっと伸ばしているのを確かめる等、自由自在です。

盛り上がるところは音の一番高いところ、音が強くなるところ(クレッシェンド)、テンポが早くなるところ(Accel)というのが指導されていての感想です。

曲想をひと言で言い表すのも上手で、ナブッコ「行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って」はクレッシェンド、デクレッシェンドを通常より強調して、更に言えばクレッシェンドの方はトランペットの朝顔のように急激に強くし、デクレッシェンドの方は逆にトロンボーンの曲線でよりゆっくり小さくする。タンホイザー巡礼の合唱は、淡々と歌えばよいとか、同様に「歌の殿堂をたたえよう」では、着物を着て畳の部屋に端座している侍のような粋な気分で速めに等々です。

マエストロの学校の学生さんが練習を見に来ていましたが、内気な学生さんに教えようと一生懸命で、指揮者の役割は?との問いに学生さんは「演奏者のモチベーションを上げること」と答えていました。普段教えられていることを答えたのでしょうが、これは目的ではなく指揮者の充分条件です。しかし、ああそうなんだなあと納得しました。「指揮者というのはえらそうに見えるが、自分をさらけ出してみっともないのです、いい音楽を作るために」とも言っていました。

合唱指揮者の素晴らしさは前のナブッコで書いたことが合唱の専門性ということだと勝手に思っています。

以上、練習を通じての感想です。                                            2010.4.20