5.第9
好きな曲というと、どうしてもベートーベン運命の次は交響曲第9番合唱付きが出て来ざるを得ませんが、この曲に対する思いは少し複雑です。一番最初にこの曲を覚えたのは定かでありませんが、小学校で歓喜の歌を習うのですから、それが最初だった機会のひとつだったとは言えるでしょう。要はラジオ、テレビ、学校で聞いて覚えたのです。しかしこの曲は70分もかかる曲で、小学生がちゃんと理解していたかは甚だあやしい。第4楽章の独唱者の歓喜の歌が始まり、合唱が始まり、行進曲風になって管弦楽に戻ったあと、再び合唱のクライマックスとなり、これで終わりかと思ったあと、抱き合おう諸人よの合唱が出ます。この部分は別の所で聞いていいなと思っていましたが、曲名は知りませんでした。ある時また第9を聞いて、ここに至って「これだ! 第9だったんだ!」というように理解するのに時間のかかる曲だということです。これが小学校6年か中学1年のことだと思いますが、これ以後、何度も何度もすばらしい曲だ、これが世の中の全てだというように聞き、高校になるとおおみそかの紅白歌合戦を忌み嫌ってラジオの第9を聞き、スコアを買って文化会館に演奏を聴きに行きと、いわゆる信者状態になります。フルトヴェングラーのレコードを買い、第3楽章はこれが世界一の音楽だと思いました。何で第4楽章でこれを否定しなきゃならないんだ。もちろん第4楽章、独唱のあとの歓喜の歌の合唱は平易なメロディーでこれほどまでに盛り上がってクライマックスに達する、運命の第3楽章最後と同じ劇的例ですが、その後何十年も経て思うに、第4楽章はこのあとの構成がそんなにはよくないと思います。行進曲風になった次の管弦楽は緊張に満ちてすばらしいが、次の合唱のクライマックスはフォルティッシモが続き過ぎで悲惨です。このあとの抱き合おう諸人よの合唱はさっき書いたとおりすばらしいのですが、ここからフィナーレまでは、絶叫と言っては演奏している人に失礼なのでしょうが、すばらしいと聴けばすばらしいが、絶叫だよと白けて聴けばそうも聴けるのです。
第3楽章のすばらしさをそれに比べて書いてみましょう。
まずテンポがゆっくりです。テンポがゆっくりということは、ひとつひとつの音の長さが長いということですが、長いから変化がないということではない。次の音は高さが違うのですが、この高さの違いが変化です。複数の高さの違う音がつながったものがメロディーということになります。世の中にはたくさんのメロディーがありますが、いいメロディー、それほどでもないメロディー、好きなメロディー、きらいなメロディーとあって、これらは何がちがうのか、今はわかりません。とにかく第3楽章のメロディーはいいメロディー、すばらしいメロディーで、それがバイオリンと管楽器の音色の違い(これも変化です)を交互に織り交ぜながらゆったりと流れていく。管楽器の音の使い方もすべて丸みを帯びた音で、刺激的な音がひとつもない。極めつけは3分の2くらい行ったところで、フルートが転調の入り口を開けるところです。この音楽談義で、今のところ変化の瞬間ベスト2のひとつです(もうひとつは運命第3楽章の最後)。
こどものころ、第9全部を聴き通すまでに時間がかかったように、いまでもスコアを見ながらよく聴けば、すばらしいところはいくつも見つかるのでしょうが、それはこれからの楽しみです。