2.音楽の変化の瞬間について
昨年のブログで「変化の瞬間」を見届けるのが「楽しみ」なのだということを書きました。高橋尚子のスパートの瞬間、子どもがおねしょをしなくなった瞬間、スポーツは変化の瞬間がたくさんあるスポーツほど見ていておもしろく、サッカーはそれが少なくてつまらない、スポーツの面白さはテレビ映りにも左右され、変化の瞬間をライブで見届けることができるスポーツが最高である、テニスは最高のスポーツである、相撲もすばらしいスポーツであるということを書きました。「変化の瞬間」の時間のスパンは短いものから長いものまであり、物理の加速度の定義に留まらず、さまざまな対象についてその都度定義すればよい。例えば将棋は2日にわたって変化し、おねしょは1週間にもわたって変化する。カーリングはゆっくりと、ほぼ等速運動してきたストーンがぶつかってもたらす変化を見る楽しみ、電車がホームに停まる瞬間には加速度(減速度、マイナスの加速度)がどんどん変化するので低速にもかかわらず、ぐらっとする等です。
さて、音楽もどうやら変化の瞬間のかたまりのようです。音が大きくなったり小さくなったり、音色が変わったり、楽器が変わったり、音程が変わったり、リズムが変わったり、転調したり、これら音楽要素を組み合わせるのが作曲ですから、ものすごい数の組み合わせの中のある組み合わせが名曲だ、いい曲だ、この曲のここが好きだということになります。そして聞いていて「あ! いい!」と思うのは、理屈ではなく感じるのですが、それは音楽要素が何らか変化している瞬間で、その瞬間が次から次へと押し寄せることもある。そのことを言葉であらわそうがあらわすまいが、大事なのはそれを感じることですが、言葉であらわしたくもなるものです。美人を目の前にしたら、きれいだなと思えば充分なのですが、でもほめちぎりたくなるでしょう。それと同じです。
さて、スポーツの変化の瞬間に立ち会う楽しみはずっと書いてきたとおりですが、スポーツの場合は結果を知ってしまったあとの録画を見ての楽しみは激減します。スポーツの場合は勝敗というものが大きな要素になりますから、それを知ってしまったあとの映像というのは、外れた馬券、宝くじのようなもので、価値が低い。一方、音楽の場合は何度聞いてもすばらしいと思うことができる。続けて何回も聞けばもう知ってるよと感動しないことはありますが、間を置けばまた復活する。このことについては次項で書きますが、何度聞いてもいいと思うというのは落語や、水戸黄門の様な芝居と共通するところがあります。